東京で暮らすこともそれなりに身に馴染んできたところなのですが、来月、いまの家を引き払い、実家ちかくで弟と二人暮らしをすることにしました。

心残りがたくさんあります。とりわけ、昨年後半から仲間入りさせていただいたいくつかの集まりや、そこで出会って優しくしてくださったみなさんから、空間的な意味で距離がすこし遠くなってしまうのは本当にさびしい、いやだ。

さびしいですし、お手伝いしたいですと言っておきながら具体的に何もできないままだったことなどは、とても申し訳ないです。もちろんお手伝いできなくなるわけではないのですが、距離の近いうちにもっといろいろすべきでした。そして、その申し訳なさから引越のご連絡が遅くなり、ますます失礼なことになってしまったり。ぐるぐるまわってしまったせいなのですが、結果として薄情なことになってしまい、本当に申し訳ありません。

実家は埼玉の東上線沿線です。ほんのちょっとだけ距離は遠くなってしまいますが、ほいほい出かけて参りますので、どうか、むしろいままで以上におつきあいさせていただけるとうれしいです。

すこし振り返ってみると、昨年、会社のブログに EPUB についての記事を書いて、直後に飛び入りで ePub Pub に参加させてもらったところから、ぼくのまわりは一変したのでした。

本のことと HTML のことを考え続けてきたのは電子書籍に関わるためだったんだな、と思っていましたが、たまたま家族に関わりのあった吉祥寺を知って好きになり、そこに住んだのも、電子書籍に関わる皆さんや、そこから広がって挨拶することのできたみなさんに会うためだったんだな、と思ったりします。もしかすると、電子書籍に関心を抱いたのも、みなさんに会うためだったのかも、とか。ものすごーく運命論っぽくてムズガユイ表現になってしまっていますが、それくらい、幸運だったな、得がたいことだったな、と感じます。

電子書籍なんて置いておいても、ぼくはみなさんとお話をしたりお酒を飲んだりしたいんです。

また、両親が学生時代に住んでいた縁で、阿佐谷・高円寺には子供の頃からときどき連れてきてもらっていました。自分も吉祥寺に住んで、便利さとはべつにある中央線のおもしろさをますます感じています。離れがたい、愛着。

あとから育った愛着のほか、そもそも自分に合っていたのかもしれない・ここに引かれて集まった一人なのかもしれないとも感じます。まーた運命みたいなこと言ってますが、ヨソではなぜかあまり同好の士に出会いにくかったぼくの趣味や好みが、この辺ではけっこうあたりまえに人気のあることだったりして、要は居心地がよかったのです。もちろん、それは場所よりも人に属する話なんですが、そういう人たちが、たとえばアサガヤデンショのみなさんのように、その場所を愛し、場所と結びついて一生懸命遊んでいるようなことを、ぼくは、「中央線」という響きの人間ぽいあたたかさやぬくもりと関連して思います。(まあ、ときにはなまぬるさやじっとりしたかんじもありますけれどね、中央線。そこも好きですよ)

「中央モノローグ線」というマンガが好きで、読むといつも「みんなひとりひとりであることですよ」みたいなことを肯定する雰囲気を感じるんですが、ぼくも主人公のように、最後は各駅停車に乗ってみようと思います。

その「中央モノローグ線」には「遠野モノがたり」という続編があって、どんなふうに終わるかはぜひ読んでいただきたいんですが、ぼくもやっぱりいつか同じように、また呼ばれたいとおもっています。もしかすると途中でふと大分あたりに引っ越しちゃうかもしれませんが、それでも!

他に心残りとしては、musashino.epub とか、そんな名前のなにかをやってみたかったなあ、って(笑) どなたか「いいじゃん」と思われればドウゾ。残ってたらぼくがいつか。

吉祥寺から埼玉に越すくらいでこのセンチメンタル。酔っ払わないと公開できませんでした! ……申し訳なさやさびしさが、なかなかにおおきいのです。どうかみなさん、これからもよろしくおねがいいたします。

6月の ePubPub にも行きます。その日が引越です。荷物を運び、埼玉から戻り、参加して、翌日、掃除して引き払う予定です。